概要
- 日時:2008年7月4日(金) 12:00~22:00
- 会場:アルテピアッツァ美唄(北海道美唄市)
プログラム
報告
「NPO夏の北海道セミナー」in 美唄 美術館のつくり方 ~ヤマを掘るまちから心を彫るまちへ~
樽見 弘紀 北海学園大学法学部教授
今年で3回目となる「NPO夏の北海道セミナー」が、今年も7月4日に北海道・美唄(びばい)市で開かれました。折悪しく、「裏」で同時開催されたG8洞爺湖サミットの過剰ともいえる厳戒警備をものともせず、千歳空港や札幌市内の集合場所には全国から40名を超える参加者が次々と元気に集結、文字通りすし詰めの貸切バスで、セミナー開催地の美唄を目指しました。締切を待たず、早々に定員が満杯になりましたのも、ひとえに共催団体であった文化経済学会〈日本〉とNPO法人アルテピアッツァびばいの関係のみなさまのお声かけやお力添えがあってのことでした。
貸切バスが現地・美唄市に到着するや、この日のためにイタリアから駆けつけて下さった彫刻家・安田侃さんがバスに乗り込み、自ら「車掌マイク」を握って美唄のまちの歴史解説を買って出られるなど、参加者にとっては嬉しいハプニングもあり、大盛況のうちに一日がかりのスタディ・ツアーが無事終了しました。
確かにヤマを掘っていたまち・美唄
美唄市は、夕張市などと同じ「旧産炭地」のまちです。この地に生を受けた安田侃さんは、東京芸術大学大学院を卒業ののち、イタリア政府から留学生として招聘を受けたことをきっかけに、今日まで長く北イタリアの大理石産地・ピエトラサンタに暮らしてきましたが、炭坑に殉じた人々の鎮魂を祈念した「炭山(ヤマ)の碑」を故郷・美唄に建てたことがきっかけで再びまちとの交流が深まります。また、そのことが後の彫刻公園「アルテピアッツァ美唄」誕生につながっています。セミナーに先立って行われた市内ツアーでは、いまも残る竪坑櫓がひときわ目を惹く炭鉱メモリアル公園で、安田さんが、この地に命を捧げた多くの坑夫、とりわけ過酷な労働を強いられた無名の韓国人や中国人労働者のことを忘れてはならない、と話されました。
それは、新緑が眩しい広大な敷地のなかに、整備された廃校舎と体育館が美しいアルテピアッツァ美唄とて一緒です。そこはかつて、9万人を超えるまちの人口の受け皿となったタンジュウ(炭鉱住宅)が建ち並ぶ地区にある小学校(「栄小学校」)でした。現在の美唄市の人口は2万7千余。栄小学校も昭和56年についに廃校となってしまいますが、一度うち捨てられた校舎はその後、美唄市と美唄市民、そして多くの安田侃彫刻ファンの手で美術館として蘇ることになったのでした。
ここにはカネ以外なんでもある
基調講演では、まず安田侃さんがアルテピアッツァ美唄誕生に至る道程を、独特のユーモアを交えながら説明して下さいました。また、入館料をとらない美術館という独自のポリシーについて、さらには、安田さん自らが講師となって定期的に開催されている「心を彫る」の授業の意味について解説して下さいました。
続く2人目の講演者であるポートランド州立大学兼任教授のスティーブ・ジョンソンさんは、全米でも評価が飛び抜けて高い「住んでみたいまちポートランド」実現に携わった仕掛け人のおひとりです。安田さんが語る美唄の歴史、アルテピアッツァ美唄の誕生秘話を引き取ってジョンソンさんは、まちづくりにおける「まちのストーリーを語る」ことの重要性について繰り返し触れられました。また、近時もてはやされている経済の「ロングテール理論」を引き合いに出しながら、効果的なまちづくりには他のまちが持ち得ないユニークな魅力が必要、「美唄には他にはない何かが確かにある」と断言されました。
基調講演に続くパネルディスカッションでは、アルテピアッツァ美唄の実現を行政の立場から牽引してこられた板東知文さん(美唄市総務部長)と、指定管理者として美術館運営を統括するお立場から濱田暁生さん(NPO法人アルテピアッツァびばい理事)とが加わり、菅野幸子さん(国際交流基金プログラムコーディネーター)の進行で、芸術文化によるまちづくりについて活発な意見交換がなされました。
筆者の心に今も残るのは、パネリストでもあった安田さんが「ここに(アルテピアッツァ美唄に)ないのはカネだけだ。どうやったら潤沢な運営資金を安定的に得ることが出来るか、ここにいらっしゃる専門家のみなさんも私たちと一緒になって考えていただきたい」、とフロアに向かって発せられた一言でした。アルテは彫刻家・安田侃ひとりの業績を誇る場ではなく、市民一人ひとりが持てる資源と経験とを持ち込むに相応しい公共の広場なのだ、という作家の矜持を感じるに十分な言葉でした。その日以来、研究者のひとりとして筆者も、安田さんの真摯な問いかけにどのように応えることが出来るか、自問自答をはじめています。
協働の産物=北海道セミナー
学会広報およびアウトリーチの一環として、3年連続全3回のセミナーを北海道で開催してまいりましたが、今回の美唄をもって「NPO夏の北海道セミナー」はいったん区切りとなります。北海道に住まう学会理事のひとりとして3回ともその実施責任者の任を仰せつかりましたが、結果、沢山の方々とお近づきになれたことは何よりの幸運でした。しかしながら、もとより私一人の能力は小さく、全3回皆勤賞となった山内直人会長をはじめとしたさまざまな方々の協力、とりわけ今回のような学会間協力や、地元NPOや市民ボランティアの参加なしには特色もあり意味深くもある連続セミナーの開催は不可能でした。それぞれの年でプログラム上のテーマこそ違え、公共の問題はセクター間の壁を超えた協働なくしては担いきれなくなっていることを一貫して浮き彫りにしようとした、と後づけで理解してみたりしていますが、考えてみれば、このセミナーの運営そのものが異セクター間協働の産物だったことに気づかされます。遠路はるばる北海道に駆けつけてご参加いただいた会員のみなさまに加え、この3年間、北海道セミナーの実現を直接・間接に後押ししてくださった学会内外の多くの方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。